昨日、中島義道さんの『差別感情の哲学』を読了しました。
差別感情の哲学 中島 義道 講談社 2009-05-15 by G-Tools |
中島義道さんはイマヌエル・カントの研究に基づいた独自の思想を展開している哲学者です。その思想には毒もあるのですが、「人間はどうせ死んでしまう」という問いを追究しつつ自分の人生の破滅ぶりを赤裸々に語る誠実さに、多くの愛読者が存在します。好きな著者のひとりであり、関心が高じたあまりに彼が師事している大森荘蔵さんの哲学書まで読み漁ったことがありました。
『差別感情の哲学』では、「自分の信念に対する誠実性を保ちながら、他人の幸福を求めることができるだろうか」というカント的な命題を追究しています。
一般的に「差別は撲滅しよう」と声を荒げるひとも存在しますが、差別感情は人間の持つ自然な感情です。撲滅すべきものではなく、また撲滅できるものではないし、撲滅すること自体が不健全といえます。しかし、この無意識に生じる差別感情を意識化して常に省みることが重要だという考え方に共感しました。
たとえば日常的に、あるいはソーシャルメディアなどで子供の話をすることがあります。
息子がこんな作文を書いちゃったんだよね、とブログを書く。けれどもその文章は、子供に恵まれない家庭にとって「差別」になるわけです。例えば交通事故で子供を亡くして悲痛に暮れている親が読んだとすれば、心の痛みにさらに追い打ちの棘を刺すような文章として読まれてしまいます。
ただ日常の楽しさを書き綴っただけなのに、その無邪気な言葉によって誰かを傷付けることがあります。本人が意識していなかったとしても、何かを選択するときには別の何かを排除しているわけであり、言葉が形にないものを形にする行為である以上、何かを喋ったとき、書いたときに必ず差別が生まれます。
『差別感情の哲学』では、肯定的な感情である「自尊心」や「向上心」さえも差別になるという考察が新鮮でした。たとえば頑張れる人の発言は、頑張れない人にとっては差別になります。健康であることを語ることは健康ではない人を差別しています。何気ない誇りや向上心の中にも差別感情は潜んでいるのです。
そんな風に考えていくと何も語れなくなってしまうのですが、大切なのは差別的な言葉を語らないことではなく、あらゆる言葉や感情が差別になり得るという可能性を認識することです。いま自分の語った言葉はもしかすると差別を生んでいるかもしれない、誰かを傷付けているかもしれないという自省と点検を欠かさずに生きていくことが大切です。
障害者とすれ違うときに、自分のなかに生じる「ああ、なんか気まずいな」という感情を子細に点検すること。その気持ちを無難にやり過ごしたり、意識から抹消したりせずに、その気まずさを気まずさとして背負いながら生きていくことが「誠実」なのです。誠実に生きることは面倒ですね。
しかしながら、言葉をつむぐ仕事をしている上で、あるいはコミュニケーションのサービスを展開する上で、このような哲学を理解することは非常に重要であると感じました。
いま、少しずつ読み進めている本にエステー株式会社の鹿毛康司さんの書いた『愛されるアイデアのつくり方』があります。
愛されるアイデアのつくり方 鹿毛康司 WAVE出版 2012-05-08 by G-Tools |
著者は、エステー株式会社で「消臭力」などのユニークなCMを生み出したクリエイティブディレクターですが、「CMとは暴力的なコミュニケーションである」と認識されています。
かつて鹿毛さんは、『ムシューダ~テニス篇』というCMを作ったことがありました。それは女子シングルスの決勝戦でプレイヤーが口でラケットをくわえながらプレーしていて、なぜかというと背中の虫食い穴を隠したいためだった、という映像でした。
けれども、このCMを観た身体障害者の方からクレームを受けます。この世の中には道具をくわえなければ生活できない方がいる、そういう人たちのなかには20歳ぐらいで亡くなってしまう方もいる、その気持ちがわかりますか、悲しい気持ちになりました、という切実な声でした。鹿毛さんは放送を中止しました。
そんな辛い経験があったので、東日本大震災のときには、何か倒れるシーンはないか、津波を連想させるシーンはないか、被災された方々を傷付けるような表現はないかと何度もチェックされたそうです。
こうした自省と点検の行為に深い感銘を受けました。面白い映像を作ればいいというわけではなく、広告が暴力的であるという認識を前提にして、視聴者に起こりうる感情の可能性を考えている。企画の仕事をしていると得てしてアイデアに走りがちになり、面白いからいいじゃん、という安易なノリで仕事を進めてしまうことがありますが、芸術家であればともかく、ビジネスの表現者である以上、このような繊細な自省と点検は必要であると考えます。
とはいえ、傷付けることを恐れて黙ってしまうのではなく、自省しつつ表現することが大事ですね。
コミュニケーションは「相手を変え、そして自分も変える行為」だと考えています。わかり合うとか共感を得るというような生ぬるいものはコミュニケーションではない。コミュニケーションはお互いの存在や価値観を揺るがすような激しいものであり、だからこそ創造的な活動なのです。
(外岡 浩)