ぼくは緑内障を病んでいる。
この眼の疾病は、一度罹患したら治ることがない。
失明というバクダンを抱えつつ
目薬で眼圧を抑えて悪化を避けるしかない。
酷いうつ病に悩まされていた時期もあった。
まったく起きられず、布団のなかで、ぼろぼろ泣いていた日々。
1年が10年ぐらいに長く感じた。そのために職を失った。
人間関係も最悪の状態になった。
うつ病はこころの病と考えられがちだが、
ほんとうに酷くなると身体にも影響を及ぼす。
不安に押しつぶされそうになって、呼吸困難になったこともあった。
いつもなら数分で書ける企画書を何度も起き上がっては倒れ込み
4時間ぐらいかけて1枚しか書けなかった。
3日間(ほんとうに)一睡もできなかったことさえある。
不安、怒り、憎しみ、嫌悪感。
人間には、こうしたネガティブな感情がある。
「ポジティブ思考でいこう!」などと
脳天気なキャッチフレーズを掲げた本もあるが
そう簡単に前向きになれるか!と憤るひとも多いんじゃないか。
挫折や痛みや病を経験しないひとはその状態を理解できない。
そして誰かにとって10%のツラさであったとしても
そのひとに5%の耐性しかなければ
充分すぎるぐらいにツラい。
仏教をはじめとする多くの宗教や哲学、心理学は
この人生のツラさ、ネガティブな感情にどう向き合うべきかを
はるかな昔から考え続けてきた。
人間にとっては、永遠のテーマかもしれない。
そこでぼくも考えてみた。
結果、「ネガティブな感情は消せない」という結論に至った。
だって人間だもの。
考えたくないとおもっても、
心に浮かんできてしまうものがあるよね。
では、ネガティブな感情をどうすればいいのか。
これは「うまく付き合っていくしかない」とおもう。
うつ病を黒い犬に喩えた動画がある。
そこに、ネガティブな感情との付き合い方のヒントが示されている。
■うつと闘う全ての人へ贈る「4分間の映像」
負の感情は消せない。
消せないのであれば、うまく付き合うしかない。
その付き合い方の要諦は、次の3つだとおもう。
1)自分がいまネガティブであることを「認める」
2)他人ではなく負の感情を抱いている自分を「赦す」
3)感情をカッコでくくって「忘れる」
怒りや憎しみや嫌悪感が生じること自体は仕方ない。
しかし、何がよくないかというと、その感情に「執着」することだ。
ネガティブループを自分のなかでぐるぐる攪拌しているうちに
悪意の毒素はどんどん膨らんでいく。
その醸成された悪意は心を蝕み、やがて精神を病ませる。
では、どうやって執着を断ち切ればいいかというと、
ひとつには、自分の心に隙を与えなければいい。
どんなにつまらないことでもいいから打ち込むこと。
人間は一度にたくさんのことを考えられない。
一心不乱に何かに集中すれば心の隙間は埋められる。
それが明るいこと、楽しいことであれば最高だ。
自分の心をポジティブな光で満たしてあげたなら
少しだけ執着から離れることができるはず。
ネガティブな感情が生まれたとき
恥じたり、無理矢理打ち消そうとするから苦しむ。
「ああ、いま自分はネガティブモードなんだな、仕方ないね」
と、のんびり客観的に自分をみつめていればいい。
自責の念も、ほどほどにしておくこと。
冷たい雨が降る日もあれば、青空が広がる日もある。
天気は変えられない。
変えられないものをどうにかしようとしても
それは無理だ。
夢や目標は、人間を奮い立たせることもあるが
達成できない夢や目標は、現実とのギャップによって
到達できない理想を抱くことによって、かえって不幸になる。
現状を変えなければ、成長しなくちゃ、と気が急いていると
それだけで疲れてしまう。消耗する。
どこへ行くのか目的地を定めずに、
汗をかきながら、ひたすら歩いていたら
「あれっ!こんなに遠くまできてしまった。びっくりしたなあ」
という感じで、結果として成長しているのがいい。
振り回されるだけの夢や目標なんて要らないかもしれない。
きみが歩んだ先に夢や目標ができる。
「自分」や「個性」も要らない。
自分がない、個性がない、と血眼でセミナーに通ったり
自分探しに必死になる必要はまったくない。
弱い人間から金を巻き上げようとする商売はたくさんあり
いいカモになるだけだ。
きみがきみであること。
それが最大の個性であり、唯一のタカラモノだ。
誰に何を言われようが、嘲笑されようが周囲から孤立しようが
自分を信じていればいい。
「自信」とは、自分を信じると書く。
決してカリスマや他人を盲信することではない。
妄想であったとしても、自分を信じている人間は強い。
不信感に囚われているよりずっとしあわせだ。
自分を信じていれば、他人に対する憎しみに固執することもない。
他人から何を言われようともへっちゃらだ。
誰かの言葉尻を捉えたり、揚げ足を取って絡むこともない。
執拗に特定の人間に絡むようなひとは結局、
構ってもらいたいだけだ。
自分に目を向けていれば、他人のことはどーでもいい。
どーでもいいことにイライラしても人生のムダ。
自分の人生を生きよう。
しかし、そうはいっても
聖人君主や仙人ではないので
そう簡単に悟れないし、すぱっとさわやかに
悩みから解放されて
生きることなんて、できないだろう。
そのどこが悪いだろう。OKでしょ。
完璧に生きられる人間なんてどこにもいないよ。
失敗したり挫折したり、
それでもときにはよろこびがあったりして
でこぼこした人生が
面白味があっていいじゃないか。
とはいえ、
ちょっとだけ生活を居心地よくしたいな、と
考えること。
それが大切なのだろう。
そのささやかな気持ちさえあれば
きっときみは大丈夫。
(外岡 浩)