気がつけばもうゴールデンウィーク。東京ではさくらの季節は過ぎ去って、新緑の季節の入り口という感じです。写真は昨日撮影した近所の新緑の木々、ツツジや名前の知らない花。
写真の最近のブログ記事
法人登記が済んでほっとしたぼくは、どこかでのんびりビールでも飲みたいとおもいました。すかーっと視界が開ける場所でひといきつきたい。そんなぼくの目に飛び込んできたのは三軒茶屋のキャロットタワーでした。松陰神社前からすぐ近くなのです。そこで世田谷線に乗り込んで三茶まで。にんじん色をしたキャロットタワーの26階にある展望台に行きました。
霞んでよくみえなかったのですが、こちらの方角には富士山があるとか。
スカイレストランに入ると、ちょうど東京タワーや六本木ヒルズの前の席でした。らっきー。スカイツリーも見えます。
眼下にひろがる風景を眺めながら、平日の昼間に飲むビールがうまい。法人登記が完了したお祝いということで、たまにはいいでしょ、こういう贅沢も。薄い水色から濃い紺に向かう青空のグラデーションがきれいです。
ビールでひといきついたら、カフェオレを注文して、MacBook Airを開いてお仕事。iPad miniがセルラーモデルなのでLTEをつないでテザリングして使っています。クラウドに書類を放り込めば外出して仕事ができる。この写真は、グーグルのAdWordsをはじめたので、リスティング広告の結果をウォッチしているところです。
ソーシャルメディア界隈のひとはノマドがどうだとかしかめっ面で語るのが好きだけれど、スタイルに理屈は要らないとおもうんですよね。時間と空間の束縛がなくなるのは独立した人間だけにもたらされる恩恵であり、しかしながらどんなに自由でも、こころが窮屈であれば自由を楽しめない。逆に組織のなかにいようと牢獄のなかにいようと、こころが自由であれば解き放たれているとおもうのです。
正直なところ、ぼくは起業を考えてから自分の時間がなくなりました。常時稼働状態で、起きている時間はいつも新しい企画や仕事のことを考えていて、もーだめだとおもったら寝る。さいわい自室がオフィスなので、ねむたくなったらいつでも眠れる。でも、苦痛じゃない。お金の面は別として、自分の責任のもとに叶えたかったライフスタイルを実現しているわけで、自分の裁量で自分の仕事を決めることができるのは、ものすごく楽しい。
はやく起業しときゃよかったよ、とおもう。しかし、他人には薦めません。自由ではあるけれど常に先行きのみえない不安に晒されているこの状態は、耐えられないひとには耐えられないんじゃないかな、とおもう。
とはいえ、ぼくは自分でこの生き方を選んだわけです。他人の揚げ足を取ったり、他人を貶めることで自分の優位性を得て満足したり、常識的な生き方しか認められなかったり、そんなのってくだらないじゃないですか。窮屈な枠組みのなかで生きるよりも、枠組みを超越した自由人でありたい。
だからぼくは起業しました。そしてちょっとだけしあわせになった気がしています。
霞んでよくみえなかったのですが、こちらの方角には富士山があるとか。
スカイレストランに入ると、ちょうど東京タワーや六本木ヒルズの前の席でした。らっきー。スカイツリーも見えます。
眼下にひろがる風景を眺めながら、平日の昼間に飲むビールがうまい。法人登記が完了したお祝いということで、たまにはいいでしょ、こういう贅沢も。薄い水色から濃い紺に向かう青空のグラデーションがきれいです。
ビールでひといきついたら、カフェオレを注文して、MacBook Airを開いてお仕事。iPad miniがセルラーモデルなのでLTEをつないでテザリングして使っています。クラウドに書類を放り込めば外出して仕事ができる。この写真は、グーグルのAdWordsをはじめたので、リスティング広告の結果をウォッチしているところです。
ソーシャルメディア界隈のひとはノマドがどうだとかしかめっ面で語るのが好きだけれど、スタイルに理屈は要らないとおもうんですよね。時間と空間の束縛がなくなるのは独立した人間だけにもたらされる恩恵であり、しかしながらどんなに自由でも、こころが窮屈であれば自由を楽しめない。逆に組織のなかにいようと牢獄のなかにいようと、こころが自由であれば解き放たれているとおもうのです。
正直なところ、ぼくは起業を考えてから自分の時間がなくなりました。常時稼働状態で、起きている時間はいつも新しい企画や仕事のことを考えていて、もーだめだとおもったら寝る。さいわい自室がオフィスなので、ねむたくなったらいつでも眠れる。でも、苦痛じゃない。お金の面は別として、自分の責任のもとに叶えたかったライフスタイルを実現しているわけで、自分の裁量で自分の仕事を決めることができるのは、ものすごく楽しい。
はやく起業しときゃよかったよ、とおもう。しかし、他人には薦めません。自由ではあるけれど常に先行きのみえない不安に晒されているこの状態は、耐えられないひとには耐えられないんじゃないかな、とおもう。
とはいえ、ぼくは自分でこの生き方を選んだわけです。他人の揚げ足を取ったり、他人を貶めることで自分の優位性を得て満足したり、常識的な生き方しか認められなかったり、そんなのってくだらないじゃないですか。窮屈な枠組みのなかで生きるよりも、枠組みを超越した自由人でありたい。
だからぼくは起業しました。そしてちょっとだけしあわせになった気がしています。